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8.19.2014

映画 「おくりびと-Departures」

アカデミー賞を受賞した映画「おくりびと(英題: Departures)」は、同じ様に葬儀を舞台としたということで、伊丹十三監督の「お葬式」(1984年公開)を思い浮かべる。しかし、後者の作品と本作品の異なるのは、海外での評価が高いということと、定職に就くことの難しさ、という社会的問題を提起している点である。なぜ、「おくりびと」が海外で評価され、逆輸入という形で国内において再評価されているのか、また、就職難という社会問題について、416日、外国人記者クラブにおいて開催されれた滝田洋二郎監督の記者会見の様子をご紹介したい。


滝田監督のスピーチから

映画そのものに感謝している。日本映画について評価を頂いたことに感謝する。
この映画は先が見えない困難なものだった。納棺師自体がネガティブであるため、この映画は非常にデリケートな問題を抱えている。観客がどのようにこの映画を鑑賞するのか、分からなかった。
納棺の現場に立会い、何かが変化した。納棺に初めて立ち会った際、恐怖心を感じたが、その現場は、不思議な空気に包まれていた。残された人は多様な感情を持つ。泣いたかと思ったら、次には笑っているのである。この経験の後、潰れてしまったお風呂等、滅びて行くものに対して儚さを感じるようになった。撮影しにくい場所が最適な場所と感じるようになった。
最初は小さな映画館から上映し、結果として全てが成功したが、これは日本映画の中でも珍しい。映画の完成後、上映までに13カ月を必要とした。その間、周囲に愚痴を言っていたが、モントリオール映画祭で国際賞を受賞したため、次はオスカーを狙うと冗談で言ったら周囲が後押ししてくれた。
質疑応答
Q:なぜ、13カ月を要したのか?
A:試写会を何度も実施し、口コミで映画の良さが広がった。
7月に新作に取り掛かる前、5月、6月にアカデミー賞に出品することを周囲に話をした。この映画の宣伝を担当していただいた達の熱意が凄かった。
Q:アカデミー賞の受賞スピーチは事前に用意したものか?また、次もアカデミー賞を狙うと言うが、どのような計画があるのか?
A:授賞式にまで出席して、受賞のスピーチを準備しない訳はない。周囲に振り回されず、自分を信用すればよい。私は自分が信用するものを大切にする。
人が覗きたくない所を覗くのが映画監督である。私には死生観がない。死をテーマとする作品に興味を抱く自分に興味を感じた。昔から日本人は皆が自宅で亡くなるのが普通だったが、現在は死から遠ざかっていると思う。
Q:アカデミー賞の受賞後と受賞前とでは態度が変わったか?
A:受賞後、数字が倍になった。
興行収益60億円は成功である。しかし、若者が観ればもっと数字に表れる。なぜ、若者は映画を観ないのか?もっと映画館へ
行きましょうと呼びかけたい。
Q:日本人も外国人も納棺師に興味を感じたのではなく、職探しを必要とする現在の深刻な状況に興味を感じたのではないか?
A:日本は地方から大都市に移動し、職を探す。現在はどこも仕事がない。特に地方の方が仕事がなく、切実な問題である。
納棺師の女性が主演の本木雅弘氏に演技指導をしたが、この納棺師に「なぜ、納棺師になったのか」と尋ねた時、「ただ社員になりたかっただけ」と返事があった。
どんな仕事でも、やらなければならないという深刻な現実がある。
Q:サムライ映画が外国人受けするが、この映画が世界でも受け入れられるのはなぜか?
A:極めて日本らしい映画だと思うが、なぜ、海外の人達に受け入れたかはわからない。万人に共通する感情(喜怒哀楽)が受け入れられてからではないか?死は世界万人、誰にでも訪れるものである。
普段、私達は死を感じない。そのため、この映画を通して自分の葬儀の練習になるのではないだろうか。
生きていくことは滑稽である。人が真面目な程、可笑しいと思って映画を撮影している。人には、他人の不幸は楽しい、という気持ちがあり、人はその感情と向き合った時に葛藤する。
タイトルを見ただけでは暗い映画だと思う。けれども、実際はコミカルである。これは観客を裏切りたかったためである。
Q::ドイツでは公開されているのか?
A:配給は決定しているが、具体的な公開日は未定である。フランスは5月の末、イタリアからは来週から公開される。
Q:国際映画祭で受賞しても、作品が国内では評価されない傾向があるがどうか?
A:なぜ、日本人が多く映画館で鑑賞しないのか、私も知りたい。
日本では多くの映画が製作され、その数は年400本となる。けれども、それらの多くが観られていない。なぜ、若者が映画館で映画鑑賞しないのか、分析する必要がある。
Q:グローバル化について映画人としての意見を聞きたい。現在進行しているグローバル化についてどう思うか?
A:専門家でないため、発言できない。けれども、自分が何を行いたくなくて、何を行いたいかは重要である。私の場合は日本人らしさ、が重要である。
Q:この映画のスタッフやキャストを見ると成功すると感じる。海外を意識したのか?
また、日本人が好む映画には1.サムライ 2.何か珍しいもの 3.死そのもの と考える。このことについてどう思われるか?
A:珍しいと言うことが何を指すのか分からない。また、海外の死について考えたことはない。日本で自殺が増えているが、死に対する価値観がゲームのようになってきているのではないかと恐れている。      
         
<記者会見の後で>
世界的な不況の影響で、映画のように職を選択できないケースが多く見られる。元チェリストの主人公が、いかにして納棺師の道を歩み、成長していくか、自分と重ねて考える人も多いのではないのか。監督が何度も口に出された「自分らしさ」とは、個性の大切さを問うものだと感じた。 (堀尾 藍)
                     滝田洋二郎監督
                      

11.13.2009

INTERVIEW: MARKUS VETTER, The Heart of Jenin (日本語版)

Speaker; MARKUS VETTER, a movie director
Interviewer; AI HORIO
Place; From Japan to Israel , Date/ Oct.2009


INTERVIEW: MARKUS VETTER, The Heart of Jennin
Interviewer; Ai Horio
Q 1(INDIGO MAGAZINE): 本作品を撮影しないかと話を頂き、引き受けたということですが、撮影を引き受けた動機は何でしたか?また、なぜご自分にお話しがきたのでしょうか?
A:マルクス:この映画は自分の私のアイデアではなかったのです。映画のプロデュ-サーから映画を撮影しないか、と話を頂きました。もともとイスラエル人の映画監督がこの作品を着想し、2005年から資金集めを始めていたのですが、当初、集まりませんでした。当時のイスラエルではこの映画のストーリーに対して興味を示す人がいませんでした。そのため、僕達はドイツから資金提供を受けることを考えたのですが、直ぐには集まらず、実現するまでに2年かかってしまったのです。資金を提供してくれたドイツの企業がユダヤ人の映画監督と一緒に撮影するなら、と提案したのです。もちろん、我々ドイツの歴史を考えると、ユダヤ人の映画監督と一緒にパレスチナ問題について映画を撮影するのは、大変興味深いことでした。そこれで、プロデューサーから、このお話をいただいたとき僕は「分かりました。映画を撮ります」と即答したわけです。
Q: 一緒に撮影したもう一人の映画監督はドイツ人ですか?
A マルクス:いいえ。彼は、元々アメリカ系ユダヤ人で、今はイスラエル国籍です。
Q2:映画の撮影に入ってからあなたの心境にどのような何か変化がありましたか?パレスチナ問題に関する意識がどのように変化しましたか?
Aマルクス: 本当に僕の人生は変わりました。当初、イスラエルでは、周囲が私に「ジェニンはとても危険な所だから行くべきではない」と誰もが止めたのです。「彼らは僕を殴られるとか、誘拐される、と警告するのです。けれども、実際に行くと、全く違いました。皆、とても素晴らしい人達で、ごく普通の生活を送っていたのです。人々は普通の生活を送っていました。即座に、僕は、ここに住んでみよう、そして、NGOを設立することで彼らを助けよう、と決意しました。ジャーナリストは1分か2分の報道をするだけで、本当のことを知りません。私たちは報道を耳にしたり、見たりしますが、現実とは異なります。視聴者が現地に訪れず全ての世界を知る、ということは出来ません。どうか、報道を頭から信じるのは止めていただきたいのです。僕がここの状況を伝え続けます。ぜひ、実際にこの地をに訪れて欲しいと思います。ウェスト・バンクに訪れることを恐れないで欲しい。ここジェニンは世界で最も危険な場所の一つになっていますが、ここはアフガニスタンとは違います。ではない。ここ、ジェニンは、とても平和で、穏やかな場所です。
僕はこの地で住民を手助けするために、ここに住んでいます。そのことが僕の人生の大きな変化です。
Q3撮影するにあたり、これでけは気をつけようと思ったことはありますか?
A 映画は両民族間での臓器提供、受け入れの話を取り上げています。臓器提供者の父親はパレスチナ人ですが、クリスチャンで、臓器受け入れ側はクリスチャンではありません。つまりユダヤ人です。けれども、父親は臓器を受け入れる側の背景とは関係ない、と言いました。この作品は恐らく成功と言えると思いますが、難しいことが多かったです。ユダヤ人の家族は臓器提供者の家族と会いたくない、と言っていました。臓器提供側のパレスチナ人家族はとても敬虔深く、ユダヤ人の臓器の受け入れ側を拒否しませんでした。
そこで、この映画の観客は、「あぁ!私達はイスラム教徒に対して違った考えを持っていた」って気付くでしょうね。
僕はこの話をできるだけ多くの人に他者に伝える必要がある、と考えています。この作品は恐らく成功したと言えると思いますが、難しいことも多かったです。
Q4: 映画で登場した「臓器提供側の父親」と「臓器受け入れ側であるユダヤ人家族」はお互いに交流がありますか?映画の登場人物と今も交流がありますか?
Aほとんど、ありません。イスラエル側はパレスチナを訪れることを恐れ、パレスチナ側もイスラエルの地を訪れるのの恐れています。そして、イスラエル側はパレスチナ人が自分達の領土に来ることを恐れています。二つの民族がコミュニケーションを取り合うことはとても難しい状況です。なぜなら、ジェニンに来たがらないし、恐れているから。報道関係者も同様で、危害を加えられることを恐れてウェスト・バンクに来たがりません。
時々、臓器を提供した僕に会いにパレスチナ人の家族は僕を訪れてくれますが、それでもユダヤ人の家族とは会っていません。
Q5:映画は何人の方が鑑賞し、どのような国で上映されましたか?また、今後どのような場所で上映さますか?
A この映画は多くの国際映画祭で上映されています。韓国、オランダ、イギリス、スペインほとんどの国で上映されています。この作品はとてもデリケートな問題だ。なぜならパレスチナ問題に正面から向き合っていて、とてもデリケートな問題に正面から向き合っています。そして、皆が映画を待っています。
Q 日本に対してどのようなことを期待していますか。
A 日本の観客や企業に対して伝えたいメッセージは、どうか、我々をサポートして欲しい、ということです。映画を鑑賞し、イスラエルに来て欲しい。我々(ドイツ人及び日本人)はイスラエルを訪れる必要があります。そして、どうかウェスト・バングやジェニンを訪れてください。
また、映画を撮影したり、ワークショップをするために機材が必要なので、日本企業のサポートが必要です。
Q:あなたが関わっているNGOのために?
A そうです。パレスチナの子ども達の未来のために一緒に映画を撮影し、ワークショップを行っています。
Q6: 鑑賞者の質問の中で印象に残っていることは何ですか?
A イスラエルの子ども達、学校関係者が印象深かったです。イスラエルの映画祭では鑑賞後、観客がスタンディング・オべーションをしてくれました。イスラエル人の市民がですよ。とても感動的でした。
Q7: イスラエル政府側から何か圧力がありましたか?
A イスラエルで映画祭が開催され、この映画が上映されたのは事実です。しかし、イスラエル政府とはコミュニケーションはありませんでした。イスラエル政府は全てを見せたくないからです。イスラエル政府は映画を短縮した映画を鑑せたがったのです。イスラエル政府は、イスラエル政府はこの映画を聴衆に観せたくなかったし、政府はこの映画を愛することもできないでしょう。
Q8:パレスチナ問題解決について、どのような見通しを持っていますか?
A とても難しいと思います。また、我々はこの状況の出口をを見出すことできません。再び戦争が勃発するかも知れない。パレスチナやイスラエルの父親同士は戦争を起こしたくないでしょう。しかし、政府は分かりません。そのために、私達はこの映画のために立ち上がりました。私達は、人々の平和な顔を見たいのです。一部のイスラエル人は映画を観賞するためにジェニンに訪れてくれたました。そして、イスラエルのある人達はパレスチナ人と対話もをしました。人はね、人間同士、お互いに話し合うことが、とても大切なんですだよ。ここでの平和はもはや政府が作り出すものではない。時々、私は世界が政府によって良くなるのではない、と考える時さえあります。なぜなら、多くのイスラエル人やパレスチナ人は平和を望んでいるのですから。しかし、彼らはとても神経を尖らせています。
彼らはお互いにもっと対話を深める必要があります。ここの人達はどのようにすれば平和が構築されるか、お互いに話し合う場がないことが問題です。
Q9:壁は、果たして解決策に貢献すると思いますか?
A  恐らく、壁は自爆テロから人々を守り、また、自爆テロを抑止する効果があるかも知れません。どうすれば、それがなくなるのか、あなたが分からないように僕も分からない。誰もその答えは分からない。私達は人々を尊敬し、訪問者を歓迎します。私達は人間が好きですからね。
どうか、彼らを嫌いにならないで欲しいのです。
戦争の前、パレスチナの経済は良好でした。しかし、戦争後、経済は破綻してしまいました。私達は経済が良くなることが本当に必要です。
Q10:オバマ政権はイスラエル寄りの姿勢を切り替えていますが、米国はどうすべきですか?
A オバマ大統領は希望を与えてくれると期待しています。しかし、正直、彼が平和をもたらしてくれるとは思えません。私は政治家が平和をもたらす、という期待を持てないのです。むしろ、一般の人々の力こそ、平和をもたらすと考えています。オバマ大統領が人々の平和構築に対して支援してくれるならば、期待は持てます。また、私は、アメリカがイランを攻撃しないことを願っています。イランを攻撃することは再び悲惨な状況を生み出しますから。
Q11 :NGO活動について詳細を教えて下さい。NGOのスポンサーはどのような方が多いのでしょうか?
A 私達の活動の主なスポンサーはドイツ政府です。また、ドイツの文化支援組織、ドイツの大企業からです。このように私達のNGOの主な資金源はドイツです。しかし、私達はすべて全ての国からの援助が必要です。日本の電気メーカー、(例えばSONY Panasonic Canon)からの援助に期待したいです。なぜなら、私達のNGOは、現地で映画を製作し、それをドイツなどと言ったヨーロッパや日本で上映する活動を展開し行っています。また、ワークショップを実施するためにも機材が必要です。
こここでは多くの人々がボランティアを行ってくれていますが、まだまだ多くの支援が必要です。
Q12 今後のNGO活動展望について教えて下さい。(NGOについて、映画の次回作について)
将来はここで映画の製作会社や映画学校を設立出来れば良いな、と考えています。人々の夢がはここで作られるますから。
Official site of the Cinema Jenin


*I will publish this interview in English.
-Editor in Chief

MARKUS VETTER, a movie director from Germany
A delegate of NGO

映画監督。ドイツ人。
パレスチナのJeninで映画を撮影したことがきっかけで、Jennin でNGOを設立し、現地の子ども達に映画の撮影方法を教授し、またワークショップを通して平和活動を実施。

○映画「The Heart of Jenin」のストーリー
Jeninにおいてパレスチナ人の少年がイスラエル兵によって射殺される。そして、少年の父親は臓器提供を決意するが、受け入れ側の一人がユダヤ人の少女だった。この作品は、「同じ人間だから」と言って臓器提供を承諾したパレスチナ人の父親、そして、手術後にパレスチナ人が提供者だと知り嫌悪感を抱くユダヤ人の父親の状況をドキュメンタリーで描かれている。


■Official site of the Cinema Jenin
公式ホームページ

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In English



5.24.2009

連載 「アフリカ雑貨スケッチ帖」-②アフリカの布いろいろ


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佐久間 典子(アフリカ市場 タムタム)
By NORIKO Sakuma (tam-tam)
谷中に残る四軒長屋の1軒で営むアフリカ雑貨店には、階段の下に組み込まれた江戸指物の引き出しがあって、そこには布類を収めています。
一番上に入っているのは、木の皮をたたいてのばし、模様を描いた樹皮布。コンゴ民主共和国(旧ザイール)東部の森に住む狩猟採集民、ムブティ(ピグミーと呼ばれています)が、昔、腰にまとっていました。現在は布の服を着用していますが、収入源になれば、ということで外国の団体が製作を復活させたようです。
次は、同じコンゴ民主共和国の中部、今も「王」を戴いているクバ王国でショワの人たちが作るビロードのような風合いの「草ビロード」。乾燥させたラフィア・ヤシの若葉の繊維を男性が織り、女性が布目を拾って通した糸を12ミリの長さに切る技法と刺繍幾何学模様を描きます。葬儀で亡がらをおおう布ですが、工芸的な魅力で古くから交易品となり、19世紀末、ーロッパに多数、渡っていきました。画家、アンリ・マティスもその収集家として知られています。日本では帯に仕立てられたりします。
そして西アフリカ、マリの泥染めの布。細幅の木綿布をはぎ合わせて1枚の布にし、植物の染料で黄褐色や茶色に染めます。鉄分を含んだ泥を塗ると、そこは黒く変化。変わらない部分を脱色した白。これらの色で模様が描かれます。ここでも織るのは男性です。女子の儀式や狩猟の際という用途は消えていきましたが、アートやファッションの面で注目されアフリカ諸国、欧米でも流通しています。写真のショールや細幅布1本のベルトの飾りは再生ビーズ。
西アフリカ独特の布に、藍染めもあります。染料となる藍は、日本ではタデ科ですが、ここではマメ科の植物。幼葉を収集し、キネでついて丸め、乾燥させておきます。草木の茎などを焼いて作った灰水にこれを加えた液に布をつけて染めます。絞り染めの場合、ラフィア・ヤシの繊維でかがり縫いをします。右から3枚、細幅布をはぎ合わせたショールと布はブルキナ・ファソ製。左端の1枚布の絞り染めはカメルーン製。
奥の壁には、工場で生産される布をかけています。
上の3枚は、東アフリカのケニア、タンザニアの女性がまとう「カンガ」と呼ばれる木綿のプリント布。模様は枠組みと中央部で構成されていて、中央下にスワヒリ語でメッセージが書かれています。サイズは約110cm×160cm。腰に巻いたり、もう1枚をショールにしたり、子どもをおぶったり、使い方はさまざまです。19世紀中ごろ、ケニアの港町、モンバサの女性がヨーロッパ製のハンカチ状の布を6枚つないでまとったのが始まりとか。19世紀後半、ヨーロッパでカンガが作られるようになり、1920年代末から約半世紀、日本製も東アフリカに多く輸出されていたそうです。1枚目はタンザニア製、23枚目はケニア製。南東の島国、マダガスカルにもおなじような布、ランバ・ワニがあります。
4枚目は、西アフリカの女性が用いる、ろうけつ染めの技法により両面をプリントした布です。片面だけ直接染めた普通のプリント布とともに「パーニュ」と呼ばれています。パーニュの意味には腰巻、布地、そして布の単位と3つの意味があります。腰に巻く分は1パーニュ=2ヤード、約180cm(幅は約120cm)。1反は6パーニュ。その半分の3パーニュで、女性のブラウス、腰巻、頭に巻きつけるスカーフの3点が作れます。インドネシアのジャワ更紗がルーツとなる技法は、20世紀初めにオランダで始まり、後半には西アフリカの国々でも生産されるようになりました。現在、中国をはじめアジア製が進出しています。写真は、最高級のブランド品、オランダ製。
参考資料: 渡辺公三・福田明男著『アフリカンデザイン―クバ王国のアップリケと草ビロード』(里文出版)/織本知英子編『カンガ・コレクション』(連合出版)/茂木佐和子「アフリカ屋」『アフリカン・モード』(サトー・コーゾー)所収/『更紗今昔物語―ジャワから世界へ―』(国立民族学博物館)
■佐久間典子(NORIKO SAKUMA), アフリカ市場 タムタム 経営
アフリカの雑貨を通して、アフリカのことを伝えている。また、店にはお茶のコーナーがあり、アフリカ関係の本の閲覧もできる。
アフリカ市場タムタム
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1.17.2009

連載 「アフリカ雑貨スケッチ帖」-①アフリカの楽器いろいろ

佐久間 典子(アフリカ市場 タムタム)

By NORIKO SAKUMA(tam-tam

東京・谷中で営むアフリカ雑貨店に並べているものの中で、触ってみる方が多く、一番人気があるのは楽器です。西洋楽器の分類とは異なる「楽器分類学」をもとに見てみます。これによると、音を出す刺激が与えられる所が、楽器の一部だと「体鳴楽器」、張った膜では「膜鳴楽器」、張った糸は「弦鳴楽器」、そして空気の流れが刺激となる「気鳴楽器」に分けられます。

 アフリカで種類が多いのが「体鳴楽器」。鉄製または竹のキーを親指などで弾(はじ)く「親指ピアノ」は、手動のオルゴールといえるような独特の楽器です(名称は「カリンバ」、「ムビラ」、「サンザ」など地域で変わります)。種が入った2個の木の実をひもでつなぎ、振り、当てる「アサラト」(別名「バティカ」他)は、カスタネットとマラカスと組み合わせた音。マラカスの仲間には、ひょうたんに種やビーズなどを編みこんだ網をかぶせた「シェケレ」、凹凸があるひょうたんの一種の中身を出し、小さな実などを入れた「オショ」があります。ひょうたんは、「ムビラ」ではキーを張った板と組ませ、「バラフォン」という木琴では鍵盤の下につけられて、共鳴の役割も担っています。

 「膜鳴楽器」=太鼓も発達しています。日本で演奏する人が増えているのが「ジェンベ」。一本の木から削りだされた胴体にヤギ皮を張ったゴブレット型の片面太鼓で、素手でたたきます。ずしんと響く低音も抜ける高音も魅力。砂時計型の木の胴の両端に革を張り、その縁に革ひもを渡した太鼓、「トーキング・ドラム」(「タマ」、「ドンド」、「ドゥンドゥン」等の名称)は、脇にはさみ、L字型のバチでたたいて演奏。胴のくびれをはさむ腕の力を強めていくと、面が張って音が高く、ゆるめると低く聞こえるという音質の変化でメッセージを伝える機能を持ちます。調(しらべ)緒をしめたりゆるめたりして音色を変える日本の小鼓と近い楽器です。ほかに、素焼きの枠に革を張り、バチでたたく平たい「サカラ」、革を張ったケニア版でんでん太鼓、といろいろな形があります。

数では存在感が薄い「弦鳴楽器」の中で、共鳴胴となる竹筒の周りにぐるりと弦を張ったマダガスカルの「ヴァリハ」は、「ツィター属」。日本の筝の仲間です。普通、スチール弦ですが、元々は竹の表皮を細長くはいで弦にし、コマをはさんだ楽器で、インドネシアやフィリピンにもあります。共鳴胴と、そこから延びる2本の腕をつなぐ横木の間に、平行に弦を張った「リラ属」には、エチオピア「クラール」。共鳴胴と、そこに付けた曲線の棒との間に、角度をもって弦を張った「ハープ属」の簡単な構造のものは、いろいろな地域で見られます(西アフリカには、21弦の「コラ」があります)。管楽器と呼ばれるものが主の「気鳴楽器」は置いていませんが、以前、イングリッシュ・ホルンに通じる音色のモロッコの葦笛「リタ」や、マダガスカルの竹笛「ソデナ」を扱っていました。

残念ながら、文章では音色を伝えることはできないので、関心をお持ちになった楽器がありましたら、演奏されているCDを店やウェブサイトで探し、聴いてみてください。

参考資料: ウィキペディア-「楽器」、「弦楽器」/『アフリカを知る事典』(平凡社)


写真の上の段、左からケニア版でんでん太鼓、サカラ、バラフォン、アサラト、シェケレ、オショ、下の段は、カリンバの小、竹のキーのサンザ、トーキング・ドラム、ムビラの板のみ、ムビラ、その下は、「ハープ属」の簡単な楽器、ジェンベ、クラール、ヴァリハ。


■佐久間典子(NORIKO SAKUMA), アフリカ市場 タムタム 経営

アフリカの雑貨を通して、アフリカのことを伝えている。また、店にはお茶のコーナーがあり、アフリカ関係の本の閲覧もできる。

アフリカ市場タムタム

http://www.tam2.co.jp/market/market_2.htm

12.10.2008

寄稿  オバマ勝利ーケニアからの報告


オバマ勝利 2008年11月5日ケニア
横関祐見子 (
UNICEF東南アフリカ地域事務所),
By Dr. YUMIKO YOKOZEKI (
UNICEF, Southeast Africa Office) 
   
米国大統領選挙の結果が出た11月5日水曜日朝5時(!)からアメリカ大使公邸で大統領選の結果を見る「朝ごはんパーティ」があり、1000人近い人々が招待されました。私もご近所なので招かれて行きました。広い庭に設置された、いくつもの大型TVスクリーンの前にたくさんの人々が座って、まるでスポーツ観戦のようです。ケニアコーヒーの香りが庭を満たしている中、夜が明けてきて次第に明るくなっていきました。
大型スクリーンのCNNはアメリカの各州の様子を映して結果を発表します。その間に、世界各地の模様も紹介されて、ケニアの様子(ナイロビの大使公邸とオバマの父親の出身地であるコゲラ村)が映し出されると、大きな歓声です。
朝日がのぼりきった7時にオバマの勝利決定、ウオーという歓声と拍手、これまでにケニアで見たことのないような興奮でした。ケニア人は西アフリカに比べて結構、物静かな人が多いと思ったのですけれど、大変な盛り上がりよう。私も一緒に行った同僚も、知らない人たちと抱き合って喜びました。こんなお祭りは久しぶりです。
在ケニア米国大使のマイケル·レネバーガー氏は大変に戦略的な外交官です。スーダンや西アフリカ諸国にも赴任したことがあり、アフリカ通であることを活かして、外交団代表として政府と強く交渉します。ラマダン中にはイスラム教徒の要人たちをイフタール(断食明けの夕方の食事)に招待したりしています。米大統領選挙パーティも、このような大使館の計画でしょう。ケニアの人々の心をつかむ絶好の機会となったと思います。それにしても、2週間前にソマリアの国連施設や米国寄りとみなされているエチオピアに関連する施設が自爆攻撃にあっている中で、よくやったなあと感嘆です。
今朝のパーティにはナイロビ市内の中学生たちがたくさん招かれていました。制服を着てスクールバスで来た中学生たちはお行儀よく座っていましたけれど、オバマ勝利の瞬間に飛び上がって喜んでいました。"Yes, I am proud and am happy!" "I also want to be the President of the USA" "Obama is our hero" 等と話してくれました。このような歴史的な瞬間を経験したことが、この若者たちの一生を変えていくかもしれません。暗いニュースの多い中で、ケニアの若者たちが「希望」や「努力」や「達成」を目の当たりにすることができたことは素晴らしいと思います。
続いてアメリカ大統領選についての学生エッセイコンテストの結果が発表されました。若者たちの希望に満ちた声を聞きながら大使公邸を出て職場に向かいました。職場でも、同僚たちがお祝いムードです。2008年のケニアは、総選挙の後の暴力で暗い年明けとなりました。その後も石油の値上がり、食料の値段暴騰、ソマリアの治安の悪化、コンゴの内戦復活などの危機的な出来事が続く中で、明るいニュースです。これを足がかりに少しでも肯定的な変化を望みたいと思います。少なくともエチオピアとエリトリアの関係とソマリアでの内紛にはオバマ外交に期待したいです。
米国史上初の黒人大統領という以上に、ケニア人の父親を持ちインドネシアで育ったオバマが米国の大統領になるということは大変なことであると思います。米国の大統領選挙が21世紀のグローバル化の意味を具体化するものとなりました。そして、ケニアの人たちが国中で喜びを示したのは、このようなグローバル化の中にアフリカが主体的に入っていくことの価値を示唆するものであるとも見ることができるでしょう。
オバマ勝利直後のナイロビの町は「勝利の喜び」に満ちていました。これから生まれる赤ちゃんの多くはオバマやバラックと名づけられるとか。皆が嬉しそうな顔をしているので、我が家の犬たちもオンオンと喜んで吠えていました。

横関祐見子(YUMIKO YOKOZEKI), UNICEF東南アフリカ地域事務所
教育開発の研究者。前職はJICA専門家。
a former senior advisor in education for JICA (Japan International Cooperation Agency)

11.11.2008

写真展から地球温暖化を警告「Once upon a time… in Antarctica」


私は20081110日に現在開催中のスウェーデン大使館主催・写真家スティーグ・グスタフソン氏(Stig Gustafsson)の写真展「Once upon a time… in Antarcticaに出席した(於:スウェーデン大使館)。オープンセレモニーの開会式においてスウェーデン大使は、「私達の生活は南極が溶ければ脅かされる。南極では人が居住することによって大陸が汚染されることを回避するために、一定期間居住する人の数を制限している」と指摘。今回の写真を通して世界的に深刻な問題である地球温暖化に警告を鳴らす。 (堀尾 藍, AI HORIO)

 


スティーグ・グスタフソン個展

期間:20081110 – 121
会場:スウェーデン大使館内ギャラリー