9.30.2009

GREEN LINE-CYPRUSからみた平和維持活動

  平和への祈りを込めたオブジェ (筆者撮影・2009)





2009年9月下旬、地中海に位置するキプロスのラルナカに滞在し、その間、車で片道50分かけてニコシアへも訪れた。
日本ではキプロスは馴染みがないが、ヨーロッパの人達には避暑地として知られ、休暇シーズンになるとロシア人、ドイツ人、フランス人等の観光客で賑わう。
首都のニコシアはグリーンラインと言われる停戦ラインが国連によって設けられている。
キプロスは、古代ギリシャの植民地であったため、住民の殆どがギリシャ系であった。
しかし、1571年にオスマン・トルコ帝国の支配下になり、キプロスはギリシャ系だけではなく、トルコ系住民の集団も形成されるようになった。
その後、キプロスは1923年になるとイギリスの直轄植民地となり、8割を占めるギリシャ系の人々はトルコ系のナショナリズムとイギリス植民地主義に対して対立を深めるようになったのである(拓山 1995143)。
1954年になると、国連第9総会にて「国連の下におけるキプロス島の住民に関する平等権及び自決権の適用」が審議されたが、イギリスの圧力によって採択のみに終わり、ギリシャ系住民の反イギリス意識がさらに高まっていった。
19747月にキプロス国防軍のギリシャ将校及びエオカ団(注1)によってクーデターが勃発したが、その背景にはマカリオス(注2)の自立を支持する中道政策に不満を持ったギリシャ本国の軍事政権による働きかけがあった(拓山 1995151)。これに対し、720日、トルコ本国は空爆後、15000人のトルコ軍をキプロス島の北岸に上陸させ、トルコ系住民地区を占領した。このクーデターの結果、マカリオスは国外へ逃亡し、サンプソン政権が誕生したのである。現在は2008年に当選したディミトリス・フリストフィアス(Demetris CHRISTOFIAS)が元首を務める。今のキプロスは1964年から国連平和維持軍が駐在し、島内を歩いてみた限り、平穏だ。
拓山氏はキプロス問題について「平和維持軍の背景にして、ある程度の『力による』平和維持活動も必要と考えなければならない(拓山1995171)」と指摘している。しかし、負傷者といった形の犠牲者が出ていない現状では、武力による平和維持活動が必要なのかだろうかという疑問も感じる。また、今回、現地のギリシャ人にインタビューしたところ、「いずれは統一されるのを願う」という意見が多かった。もちろん、必ずしも住民の意見と国家の意見が合致するとは限らない。
 戦争によって利益を得る組織が存在する限り、戦争がなくならないのが、国際社会の現状である。
(INDIGO MAGAZINE 編集長 堀尾 藍, Editor in Chief, AI HORIO)
国連軍のみではなく、UNDPによるプログラムもある (筆者撮影・2009)

GREEN LINEへはパスポートの提示が要求される   (筆者撮影・2009)

(注1)
エオカ団:独立闘争人民組織、 Ethniki Organosis Kypriakou Agonos(略 EOKA)
(注2)
マカリオス:1950年、ムスコス司教がマカリオス3世に即位した。
                 

        主な参考文献
・拓山堯司 「PKO 法理論序説」東信堂 1995
・外務省 キプロス共和国 (2009930日)

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