2.18.2014

【書評】堀尾 藍「それでも私は憎まないーあるガザの医師が払った平和への代償(著者イゼルディン・アブエライシュ医師)」


【書評】 「それでも私は憎まないーあるガザの医師が払った平和への代償(著者イゼルディン・アブエライシュ医師)」 堀尾 藍(INDIGO MAGAZINE 編集長)

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著者 イゼルディン・ラブエライシュ(Dr.Izzeldin Abuelaish
題名「それでも私は憎まないーあるガザの医師が払った平和への代償」
 I SHALL NOT HATE A GAZA DOCTOR’S JOURNEY
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今回はINDIGO MAGAZINEにて初めて書評を掲載する。本来、本人に執筆を依頼し、寄稿して頂いているが、今年は新しいことに挑戦する、ということで、書評も随時掲載していく予定である。 
    
               
書評に入る前に、先ず、パレスチナについて紹介する。
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR: United Nations High Commissioner for Refugees)によると、2011年の難民の数は1040万人にもなり、国内避難民の数も1470万人(2010年)から1547万人(2011年)へと増加している。パレスチナには難民が多く居住し、国連の中でも、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA:United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East)がパレスチナ難民に対する支援を実施しているが、このUNRWAは第一次中東戦争後の1949128日、国際連合総会決議において設立された。UNRWAの登録難民は約500万人になる(2011年)。
中東に位置するパレスチナは約6,020平方キロメートルの広さで、アフリカと同様、肥沃な土地のため(西洋人の避暑地であるキプロスと同様、地中海に面し、オリーブといった産物が実る)、紛争が絶えない。
第二次世界大戦後の19464月、国際連盟は最後の会議にて「連盟の存在停止とともに、委任統治地域に関するその役割も終了する」と決議し、シリア・レバノン・トランスヨルダン(注1)は独立を許されたが、パレスチナの場合は大問題があった。ユダヤ人はユダヤ国家としての独立を望み、アラブ人はパレスチナ・アラブ国家としての独立を望んだのである(鹿島 2013)。1967年、第三次中東戦争によりイスラエルが西岸・ガザを占領し、 1987年には西岸・ガザでパレスチナ住民による蜂起(インティファーダ)が勃発。2011年にパレスチナはユネスコ加盟に申請をし、11月正式な加盟国となった。
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の聖地があるパレスチナは、まさに激動の歴史を繰り返してきた。

この著者であるイゼルディン・ラブエライシュ(Dr.Izzeldin Abuelaish)は、パレスチナ難民キャンプ出身であるが、幼少の頃から勤勉で、カイロ大学医学部卒業した後、ロンドン大学産婦人科研究所で学位を取得し、ハーバード大学にて修士号を取得。イスラエルのシェバ病院ガードナー研究所の上級研究員として勤務後、現在はトロント大学の准教授をしている。
著者はパレスチナ人であるが、娘達に対し、イスラエル人と共にパレスチナにおいて共存して欲しいという理由により、ニューメキシコにおいて、パレスチナ人、イスラエル人が共に活動をする平和キャンプに参加させたが、イスラエル軍のロケット弾によって娘の命が奪われた。しかし、著者は、イスラエルに対し武力で対抗するのではなく、女性の地位向上を目的とした「アブエイライン基金」を設立し、この基金によって中東全域の生活が改善される、ことを願う。

著者の一文に以下のものがある。

わたしは、社会のあらゆる場面で女性達にチャンスを与えられることを望んでいる。女性達にも会話に加わって欲しいのだ。仕事上、私はパレスチナ人とイスラエル人の赤ん坊を取り上げてきた。パレスチナ人の新生児とイスラエル人の間には何ら違いはない。だから、こういった赤ん坊を産んだ母親達こそが、この地域に対する前向きな道を見つけてくれると信じている(p.294)。

 先祖代々、難民キャンプでの生活を強いられているパレスチナ人にとって、教育は重要な鍵である。母親が高等教育を得ると、子どもの生存権が高くなる上、多くの選択肢を得られることになる。これは中東のみではなく、アフリカや他の国でも同じである。
 大国のプロパガンダにより、中東に対する負の固定観念が形成されている。しかし、ムスリムの多くが平和を望み、イスラエルとの対話を望んでいる、と私は考える。先ず、私達は中東の文化に触れ、中東に関係する文献を読み、視野を広げることが重要である。そして、実際に現地へ足を運び、パレスチナの魅力を知ることが何よりも大切なことである。
そのためにもこの一冊をお勧めしたい。

(注1)1950年 東エルサレムを含む西岸を併合、国名をヨルダンに変更

<参考文献>
・イセルディン・アブエライシュ「それでも、私は憎まないーあるガザの医師が払った平和への代償」亜紀書房 (2013
・鹿島正祐「中東政治入門」第三書館(2013
UNHCR 難民白書 2013





 

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