12.28.2013

ザンビアにおける光と影

ザンビアにおける光と影
堀尾 藍(INDIGO MAGAZINE 編集長)

<はじめに>
 サハラ以南に位置するザンビアは1964年10月24日にイギリスから独立し、UNIP(統一民族独立党)のKenneth David Kaundaが初代大統領として就任した。 人口が1293,5万人(世界第76位)、GDP143億ドル(世界116位)の国である。国内には73部族が居住し、トンガ系、ニャンジャ系、ベンバ系、ルンダ系といった多民族国家である。また、使言語は公用語の英語を始めとし、ベンバ語、ニャンジャ語、トンガ語等がある。

 <構造調整について>
 1970年代から80年代にかけて多くの開発途上国は、累積債務問題に悩まされるようになり、国際通貨基金(IMF)や世銀からの構造調整借款に依存せざる得なくなった。構造調整借款は、財政赤字の削減と貿易赤字の削減を目的としていたため、政府支出の削減を余儀なくなされた。そのため、多くの構造調整対象国では、教育や保健といった社会部門への政府支出を削減することとなった (注1)。
 ザンビア政府は1991年のチルバ政権誕生によって世銀・IMFの構造調整を受け入れ、経済自由化など構造調整プログラムを開始した。構造調整下では公務員削減も進んだが、教員は対象外であった。政府支出削減、教育予算削減は1980年代からすでに始まっていたため、構造調整のみにより急激 に教育予算が削減されたというわけではない 。  先進国による莫大な援助を受けたアフリカ政府は、多くの負債を抱え、その負の影響を国民が背負わなければならなくなった。構造調整では、世銀の政策により、ザンビアにおいても換金作物を生産せざる得なくなり、多くの貧困者層を生み出したのである。

 <農村地域での生活>
 筆者はザンビア南部に位置するリビングストーンに近い農村地域に足を運び、地域住民の方々から歓迎を受けた。一緒に近くの川まで水を汲みに行ったが、大人の女性の足でも村から川までは片道1時間以上かかったが、これは幼い女の子達の仕事だという。首都ルサカにおける富裕層は自宅にプールもある生活であるが、一方で筆者が訪れた農村地域では、僅かな量の水を得るのでさえ、前述したとおり、遠方の川まで徒歩で汲みに行く必要がある。旧宗主国から独立した現在でさえ、貧困は撲滅しない。先進国において高等教育を受けた者が、母国に帰国し、先進国にとって望ましい構造の一部となる。


              (写真1) 子ども達が汲んだ水で料理を作る女性。(筆者撮影)



(写真2)少女達が川で汲んだ水が入ったポリバケツ。
               この水は飲料水、お風呂、に使用される。(筆者撮影)



<ザンビアにおける中国の影響>
 中国はアフリカに対する援助に力を入れている。 中国によるザンビアへの投資は顕著であり、2007年以後の累計で61億ドル(約4670億円)となり、ザンビアのGDP(2010年)の3分の1に相当する規模となる 、という(注3)。 2005年4月、中国系鉱山用爆薬製造工場において爆発事故があり、ザンビア人労働者が犠牲になったが、企業側の補償が適切に行われなかったとして、ザンビア人の遺族らが訴えたケースもある。この事故の影響により、ザンビア国民の対中への不満が高まり、2006年秋の大統領選では、野党であるマイケル・サタ(Michael Chilufya Sata、愛国戦線:Patriotic Front)党首が票を大きく獲得し、2011年9月23日に大統領に就任した。
  これは、ザンビア人達の中国政府への抵抗であり、また、中国のみならず、他の先進国に対する問題提議を掲げている、と考える。 ザンビア人自身による発展は、勿論、可能である。アフリカに対する「援助」では、現地の富の分配の構造は決して改善られず、自国で生産、消費することによって、大きな発展や生活改善への可能性がみられる、と期待する。

*注釈
1 浜野(1995)。
2  堀尾(2007)。
3 Kinbrick now



 <参考文献>
・浜野隆「アフリカにおける構造調整下の教育政策-初等教育就学 との関連を中心に-」『国際協力研究』第11巻第2号(国際協力研究所,1995年)
 ・堀尾藍「修士論文・ザンビアにおけるコミュニティースクールによる基礎教育 への取り組み -現状と展望-」(明治学院大学大学院国際学研究科、2007年)

・外務省 ザンビア基礎データ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/zambia/data.html
・ Kinbrick now http://kinbricksnow.com/archives/51744648.html