5.24.2009

連載 「アフリカ雑貨スケッチ帖」-②アフリカの布いろいろ


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佐久間 典子(アフリカ市場 タムタム)
By NORIKO Sakuma (tam-tam)
谷中に残る四軒長屋の1軒で営むアフリカ雑貨店には、階段の下に組み込まれた江戸指物の引き出しがあって、そこには布類を収めています。
一番上に入っているのは、木の皮をたたいてのばし、模様を描いた樹皮布。コンゴ民主共和国(旧ザイール)東部の森に住む狩猟採集民、ムブティ(ピグミーと呼ばれています)が、昔、腰にまとっていました。現在は布の服を着用していますが、収入源になれば、ということで外国の団体が製作を復活させたようです。
次は、同じコンゴ民主共和国の中部、今も「王」を戴いているクバ王国でショワの人たちが作るビロードのような風合いの「草ビロード」。乾燥させたラフィア・ヤシの若葉の繊維を男性が織り、女性が布目を拾って通した糸を12ミリの長さに切る技法と刺繍幾何学模様を描きます。葬儀で亡がらをおおう布ですが、工芸的な魅力で古くから交易品となり、19世紀末、ーロッパに多数、渡っていきました。画家、アンリ・マティスもその収集家として知られています。日本では帯に仕立てられたりします。
そして西アフリカ、マリの泥染めの布。細幅の木綿布をはぎ合わせて1枚の布にし、植物の染料で黄褐色や茶色に染めます。鉄分を含んだ泥を塗ると、そこは黒く変化。変わらない部分を脱色した白。これらの色で模様が描かれます。ここでも織るのは男性です。女子の儀式や狩猟の際という用途は消えていきましたが、アートやファッションの面で注目されアフリカ諸国、欧米でも流通しています。写真のショールや細幅布1本のベルトの飾りは再生ビーズ。
西アフリカ独特の布に、藍染めもあります。染料となる藍は、日本ではタデ科ですが、ここではマメ科の植物。幼葉を収集し、キネでついて丸め、乾燥させておきます。草木の茎などを焼いて作った灰水にこれを加えた液に布をつけて染めます。絞り染めの場合、ラフィア・ヤシの繊維でかがり縫いをします。右から3枚、細幅布をはぎ合わせたショールと布はブルキナ・ファソ製。左端の1枚布の絞り染めはカメルーン製。
奥の壁には、工場で生産される布をかけています。
上の3枚は、東アフリカのケニア、タンザニアの女性がまとう「カンガ」と呼ばれる木綿のプリント布。模様は枠組みと中央部で構成されていて、中央下にスワヒリ語でメッセージが書かれています。サイズは約110cm×160cm。腰に巻いたり、もう1枚をショールにしたり、子どもをおぶったり、使い方はさまざまです。19世紀中ごろ、ケニアの港町、モンバサの女性がヨーロッパ製のハンカチ状の布を6枚つないでまとったのが始まりとか。19世紀後半、ヨーロッパでカンガが作られるようになり、1920年代末から約半世紀、日本製も東アフリカに多く輸出されていたそうです。1枚目はタンザニア製、23枚目はケニア製。南東の島国、マダガスカルにもおなじような布、ランバ・ワニがあります。
4枚目は、西アフリカの女性が用いる、ろうけつ染めの技法により両面をプリントした布です。片面だけ直接染めた普通のプリント布とともに「パーニュ」と呼ばれています。パーニュの意味には腰巻、布地、そして布の単位と3つの意味があります。腰に巻く分は1パーニュ=2ヤード、約180cm(幅は約120cm)。1反は6パーニュ。その半分の3パーニュで、女性のブラウス、腰巻、頭に巻きつけるスカーフの3点が作れます。インドネシアのジャワ更紗がルーツとなる技法は、20世紀初めにオランダで始まり、後半には西アフリカの国々でも生産されるようになりました。現在、中国をはじめアジア製が進出しています。写真は、最高級のブランド品、オランダ製。
参考資料: 渡辺公三・福田明男著『アフリカンデザイン―クバ王国のアップリケと草ビロード』(里文出版)/織本知英子編『カンガ・コレクション』(連合出版)/茂木佐和子「アフリカ屋」『アフリカン・モード』(サトー・コーゾー)所収/『更紗今昔物語―ジャワから世界へ―』(国立民族学博物館)
■佐久間典子(NORIKO SAKUMA), アフリカ市場 タムタム 経営
アフリカの雑貨を通して、アフリカのことを伝えている。また、店にはお茶のコーナーがあり、アフリカ関係の本の閲覧もできる。
アフリカ市場タムタム
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