3.11.2009

難民にも日本人にも開かれた国をめざして

東洋英和女学院大学教授(前UNHCR駐日代表) 滝澤三郎

2007年1月にUNHCR駐日代表として着任し、昨年の8月末日を持って定年退官した。国連大学の客員教授として数ヶ月を過ごし、今年4月から東洋英和女学院大学国際社会学部で教鞭をとる予定だ。これを機にUNHCRでの在任中の活動を振り返ってみたい。

UNHCR駐日事務所に3つの活動の柱があった。第1は日本への難民受け入れ促進、第2は海外での難民保護事業への日本政府・民間からの援助資金の増加、第3がそれらを支えるための広報・啓発活動の促進だった。
第1の日本への難民受け入れについては、「難民鎖国」といわれるように、日本の難民受け入れ数は長年極めて小さかった。難民申請の数自体が一昔前には100人以下と小さく、難民と認められる人々の数も1ケタの年が長く続いた。さまざまな理由から、難民は日本での庇護を求めなかったのである。しかし、2002年の中国瀋陽での脱北者事件への激しい批判、それに続く入国管理・難民認定法の改正、永井さん射殺事件を含むミャンマーでの民主化勢力・少数民族の弾圧もあって、近年の日本での難民申請者数は急増し2008年は1600人に上った。同年に法務大臣から難民として認められた人々の数は47人、難民認定は受けなかったものの人道的理由から特別に日本滞在を認められた人々の数は360人であり、これらの数字はいずれも過去最高である。もちろん毎年、数千から数万人単位で難民を受け入れる欧米諸国と比較するとこれらの数は少ないが、西欧諸国での難民受け入れが少なくなっている中で日本の「難民開国」への動きは歓迎されている。
特筆すべきは、政府(関係11省庁)が「第3国再定住」による難民受け入れを2010年から試験的に実施することを決めたことだ。「再定住」とは、外国で既に難民として受け入れられたものの、その国で十分な保護を受けられない難民を第3国(である日本)に受入れるという方法だ。従来の入国管理・難民認定法による難民受け入れが、日本に辿り着いた難民申請者の中から真性の難民を探して難民認定するという方法であるのに比べて、再定住は外国から難民を直接呼び寄せることになるから、より積極的な難民政策だ。1970年代の後半からの11000人のインドシナ難民の日本受け入れが、アメリカをはじめとする強い国際的圧力のもとで受身的に行われたのに比べ、今回は日本政府のイニシアティブで行われている点が特に評価できる。
第2の海外での難民の保護・支援活動に対する財政的貢献面では、日本は長らくアメリカに次いでUNHCRの第2位の拠出国の地位を占めて来た。厳しい財政事情の中で減少を続けるODA予算にも関わらず、2008年のUNHCRへの拠出は一億一千万ドルとなり、これは2006年に比べて46%の増加である。強い円のおかげもあるが、このような増加も、日本の人道支援活動への貢献が増えている証として高く評価されている。
以上のような進展に欠かせなかったのが第3の広報・啓発活動だ。最近は難民に関わる事柄が全国紙を初めとするメディアにしばしば取り上げられるようになった。新聞やテレビによる内外の難民事情紹介が増えただけでなく、昨年の6月20日の「世界難民の日」や、第3回難民映画祭は大企業のスポンサーもついて大成功だった。大学による難民奨学金制度や、NGOと「UNHCRユース」を中心とした学生による「普段着の難民支援」運動がメディアで報道され、それがさらに難民への関心を高めるという好循環が見られた。
以上の3つはそれぞれが相乗効果を生み出しているのだが、このようなポジティブな発展の背景と今後の課題は何だろうか。 まず、日本への難民受け入れ数の増加については、日本政府の難民政策転換が何よりも大きい。次々と起こる(国内)紛争や迫害を逃れて世界各国で庇護されている難民が1000万人を超し、かつ難民生活が長引く中で、政府部内でも日本はもっと「難民の受け入れ」という形での国際貢献をするべきだとの認識が強まったためだろう。このような政策転換に反応して日本で難民申請をする人々が増えたと考えられる。新規難民申請者の多くは既に日本に入国して暮らしている人々だが、彼らの目にも日本政府の方向転換が明らかで、難民として認められ、日本に救ってもらえる可能性が高くなったという判断が申請者の間に広まっているのだろう。新規申請者の多くミャンマー(ビルマ)人だが、彼らに対する日本社会(そして政府)の同情も申請数増加の背景にあろう。とまれ日本の難民政策の転換は興味深い研究対象である。 
難民受け入れの今後の課題には、法務省による難民審査期間の6ヶ月前後までの短縮とともに、受け入れ後の支援体制の拡充がある。日本で難民として受け入れられても、日本での安定した生活がなければ本当に救われたことにならない。難民の生活を早期に安定するための新たな策として、国内での難民支援事業へのODA資金提供が考えられる。受け入れ初年度の国内での費用はOECD統計にはODAとして計上できるし、西欧諸国もそのようにして国内での難民支援NGOへの資金提供をODAとしている。このような措置は脆弱な財政基盤ゆえ難民への十分な支援をできない日本のNGOに朗報となろうし、今後増えると思われる「再定住」による難民受け入れを円滑に進める上でも必要だろう。「国内で使われるODA」は、透明性と説明責任の点でも支持を得やすい。
また、大企業がCSR(企業の社会的責任)の一環として難民を雇用するのも望ましい。多くの難民は小規模のサービス業などで不安定な雇用環境におかれているが、大企業による難民雇用は、社員の目を世界に向けるきっかけともなる。現今の大不況はいずれ克服され、いくつかの業種で深刻な人手不足は戻ってこよう。また、地方自治体が難民を積極的に受け入れるのはどうか。昨今、多くの地方自治体は過疎に悩み、「限界集落」を抱え、人手不足から外国人研修生を低賃金労働者として使う、といった人権上の問題もある。であれば、能力があり希望する難民に、農業や林業、漁業での研修を与えたのちに就業してもらうのがいいではないか。それは人道支援と地域活性化をとも達成する2石1鳥的な「地域発の国際貢献」のモデルケーになる。
第2の資金提供の点では、日本の難民政策には「難民の受け入れ」がごく少ない一方で難民支援活動への資金提供は比較的大きい、という面があったのは事実だ。いわば難民受け入れの少なさを資金提供で補ってきたのだが、「金は出すが人は入れない」という政策は限界に来ている。また昨今のODA削減の流れの中で、援助資金自体も減少傾向にある。OECD諸国の中で日本のODAにおける「人道支援」の割合は一番低く、2ないし3%にとどまる。日本では現今の大不況に加えて少子高齢化問題、年金問題、医療問題、地方の衰退など国家的課題が山積しているが、難民が発生する国ではそのような制度すらなく、数千万・数億人の安全が生きるか死ぬかの生存レベルでの脅威に直面している。他の国に比べて日本はいまだはるかに豊かで平和な国であり、世界的規模の問題解決にもっと積極的になることができるはずだ。ちなみに、アフガン支援については、多額の費用がかかるPKOなどへの参加だけでなく、日本へのアフガン難民の受け入れ、という形での国際貢献も考えるべきだ。今までのところ日本政府のアフガン難民への対応は「難民鎖国」時代から変わっていない。難民に門戸を開くことで、日本はもっと「国際社会で尊敬される」国、「平和貢献国家」になることができる。
第3の 広報・啓発面では、難民問題について日本の主要メディアが積極的で前向きな報道をしてきたことを評価したい。これは欧米メディアにはあまり見られないことだ。最近は「移民問題」がメディアに取り上げられることが多いが、それも難民受け入れについての国民的論議を活発化させる契機となっている。難民に関しては「インターネットカフェ難民」、「医療難民」、さらには「ランチ難民」など、本来の意味とはかけ離れた「難民」報道もあるが、それも「難民」という立場におかれた人々について人々が関心を持つきっかけになったとみることもできる。とりわけ「第3国」再定住をめぐる主要紙の報道には目覚しいものがあった。先進諸国の「再定住政策」の経験を踏まえた建設的な提言もあり、それが政府の動きを前向きに加速化したことは否定できないだろう。
また、日本のメディアは、難民を単なる「かわいそうな人々」という形でなく、彼らの苦境にもめげない強さや、それぞれその「人間的側面」に焦点を当てた報道をしてきた。難民問題を単に「受け入れ社会の負担」といった形ではなく、そこに潜む「光」の部分をも報道する姿勢は、「難民」のイメージを改善し、一人一人の難民を改めて「人間」として理解するのに大きく役立った。UNHCR駐日事務所が国連大学と共同して進めている「インドシナ難民の日本での定住・統合状況についての調査」がしばしば報道されたこと、さらに、普段は日のあたらない難民支援という仕事に関わるNGOや学生による支援活動、日本で奮闘する難民、さらに海外で活躍するUNHCR職員の活躍をメディアが取り上げたことも、日本での難民問題の理解に大きく貢献したことは間違いない。「難民開国」に向けてのメディアの功績は大きい。
このように日本で難民問題についての理解が進み、難民政策が進展し、日本内外での難民支援活動が活発になったことはすばらしいことだ。きっと2008年は日本の「難民開国元年」として記憶されるだろう。もちろん課題は山ほどある。その一つが難民問題についての学際的研究だろう。日本の難民研究は法学の立場からの「難民認定」問題が主流を占めてきたが、今後は政治学、社会学、経済学などの隣接社会科学との連携を強めていくべきだろう。学生や若い研究者の間で「人の移動」や「強制移動」問題に関心を持つ人が増えているから、いずれは「難民研究センター」的なものができるかもしれない。
迫害をのがれてきた難民が来たがる国、彼らが住みやすい国は日本人にとっても住みやすい国だろう。その意味でも、難民を助けることは結局自分たちを助けることにつながる。難民にも日本人にも「開かれた国」、もっと「開かれた社会」をめざして活動を続けたいと思う。


■Saburo Takizawa
A former U.N.High Commission for Refugees' representative in Japan
United Nations University, Professor
Toyo Eiwa University, Professor

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